これまで「超漢字」にはデバイスドライバが足りないという深刻な問題があった。デバイスがクローズドでデバイスメーカーがWindowsには自主的にドライバーを提供するが、他のOSにそれをすることは稀な上に仕様非公開なのでパーソナルメディアが自力でドライバーを開発することが難しいとの理由だった。例えば、ハードディスク・インタフェースはSATAが主流になってきているのに、現状ではこれに対応できるのがいつになるかわからないなど。
問題の解としてWindowsをホストOSとするバーチャルマシンの道を選んだのはそれらをWindowsのデバイス・ドライバに肩代わりさせることができるという点で優れている。ただ問題はある。すぐ思い浮かぶのは、
・Windowsが必ず必要となる
・Windowsが必要になることにより、続出するWindowsの問題にパッチを当て続けなければならない
・かと言って、Linuxなど他のOSをホストOSにしたり、ネイティブにインストールして例え動いたとしてもすべてサポート外とされる
など。
また、「超漢字」上のアプリケーションを開発することに今後意味があるのか、Windowsにあるもので用が足りてしまうのではないか、という点が問い直されるが、これに対しては「多漢字、多文字を扱える唯一のOS」というところと「実身・仮身モデルをOSが持つ優位、利便性」という点で絶対のアドバンテージがある点で問題ないとの説明でこれには同意する。
しかし、しかし…あの場でなんだか寂しいなという思いを持ったのは自分だけではなかったのではなかろうか。何年も前から言われてきたことだが、今あるPCはパーソナルなコンピューターとしてはクローズドなハードウェア・プラットホームで極論すればWindowsの為のものだ、ということを完全に認めてしまったのが今回の「超漢字V」の発表のように感じられた。
一方、パソコンを離れてT-Engine(組み込みコンピューター)の世界ではデバイスはすべてオープンなので「超漢字」(T-Engineの世界ではT-Shellという名前だが)には何の制約もない。何もパーソナルなコンピューターというのが今のPC的なものだけというわけではなく、むしろさらにパーソナルで扱いやすいものに脱していく傾向にある昨今、例えばユビキタスコミュニケーターの中で活躍しているわけで、BTRONファンとしては悲観するほどのことでもない。
断食中なのに思わず酒を少し飲んでしまったが、いろいろ感慨深い例会だった。
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